皆さんこんにちは。
本日は「山内太地は大学卒業後どんな会社で働いていたのか」について、
大学受験アドバイザー山内 太地が実体験をお話しします。
私はこの仕事(大学紹介・進路支援)をずっとしてきたと思われがちですが、
実はこの仕事の歴史はまだ浅く、それまでに多くの職業を経験してきました。
ただし、大学生時代から今まで「日本全国の大学見学」だけは一貫して続けており、もうすぐ30年になります。
私は2000年3月に大学を卒業しました。
当時は就職氷河期の真っ只中で、有名大学でも就職率が50%を切るほどでした。
もちろん私も例外ではなく、大学4年の就活ではたくさん受けても内定ゼロ。
そもそも当時の私は「まだ大学生でいたい」という甘い気持ちが大きく、職業への意識も低かったのです。
文系は特に、学んだ内容と就職が直結しないことが多いため、自分で職業を考える必要があります。
その重要性に気づけなかった私は、そのまま就職できず大学を卒業してしまいました。
地元・岐阜に戻った私は、隣県の長野県にある温泉ホテルで働き始めました。
ですが働いてみて、「旅行が好き」と「ホテルマンに向いている」は別物だと痛感。
ホテルは“自分が旅行する”場ではなく、“他人を旅行させる仕事”です。 本質的に自分には向いていなかったため、申し訳ない気持ちを抱えつつ短期間で退職しました。
東京が大好きだった私は、就職も決まっていないのに再び上京し池袋で仕事探しを開始。
運よく大手出版社の子会社が募集しているのを見つけ、出版バイト経験を活かして応募したところ奇跡的に採用されました。
23歳、2001年9月のことです。
ここでは新人ながら毎月1冊の本を作る超ハード環境で鍛えられ、 3〜4年耐え抜いた結果、私が担当した本がなんと20万部売れました。
これは編集者として非常に大きな成果で、私自身も一応“ベストセラー編集者”の肩書きを名乗れるようになりました。
27歳で別の編集プロダクション(大手出版社の子会社)に転職。 ここでは大学関係の本を作る機会が多く、結果的に再び大学の世界に関わるようになりました。
もともと私は「大学マニアとして生きる」のではなく、 “専門職としての編集者”を目指していました。
医療本、公認会計士の本、歴史の本など幅広いジャンルを担当しつつ、 大学関連の出版物にも深く関わるようになっていきました。
2009年、私は31歳で出版社を辞めフリーライターに独立しました。
出版社からの執筆依頼を受けたり、自身も著者として本を出したりしながら、 印税で生活できる職業になりました。
ここから現在に至るまでの15年間の話は長いので、続きは次回に…。
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